仕事が忙しすぎて遊ぶ約束できない友達の末路とは?

    
男性 パニック
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仕事が忙しすぎて遊ぶ約束できない友達の末路とは?

1年以上会ってないいなかった友達に電話をしてみましたが、久しぶりに会う約束をしてもらうことができませんでした。

今回は、そのことについて感じたことを書いていきます。

 

友達と会う約束さえできない友達

1年以上会っていなかった友達に久しぶりに「どうしてるかな?」と思い、電話をしてみました。

 

久しぶりなので、近況報告をし合い、友達の方から「一度会いたいねえ」という話をしてきました。

喫茶店で一度会う話になり、場所まで決まったのですが、「じゃあいつにする?」と僕が切り出すと友達は急に押し黙りました。

 

何か気に障ることでも言ってしまったのかな?と心配になりましたが、よくよく話を聞いてみると、

「最近仕事が忙しくて、なかなかゆっくりと時間が取れることがない」

「仕事がいつ入るかも分からないし、約束しても断らないといけないかもしれない」

とのことでした。

 

休日でも急に仕事が入ることが多く、休日を仕事のために空けておかなければならないこともよくあるとか。

 

それは、もう休日がないと言えます。

 

僕は無理はできないので、「また時間ができたら連絡してきて」と言って電話を終わらせました。

 

話を聞いている限りでは、彼には申し訳ないですが、「時間ができる」ことはおそらくないでしょう。

 

自分を犠牲にしてまで仕事をする理由は?

彼の会社がいわゆるブラック企業と言われるまでの会社がどうかは僕には分かりませんが、サラリーマンをしていない僕からすると考えられない生活です。

 

完全に仕事のための生活、仕事のための人生になってしまっています。

 

仕事が入ったから友達との約束を断るというのは世間的によくあることかもしれませんが、
仕事が入るかもしれないから友達と約束さえできない・・・。

 

僕は、プライベートの予定が入れば仕事はしない考えなので、彼とは本当に真逆の人生です。

 

 

そもそもそんなに人生を犠牲にして、その仕事をする意味や価値はどこにあるのか?

 

僕は彼がその仕事にやりがいもないのにしているのを知っています。

 

 

じゃあ、なぜそこまでしてその仕事をしているのか?

 

結論を言うとお金です。

 

 

彼には奥さんと一人の小さな娘さんがいます。

 

奥さんと娘さんを養うには、生活費が必要です。

生活費となる給料は今働いている会社に行かなければ手にすることはできません。

 

その会社に属している理由は、ただそれだけです。

 

本当にただそれだけです。

 

 

僕なら、やりたいわけではない仕事で、やりがいもないのなら、辞めればいいと思いますが、彼は辞めてしまうと家族が生活していけないので、彼は、その会社でどんなにつらいことがあっても辞めないのです。

彼の人生では、その会社で働くことが絶対条件なのです。

ですから、どんなにつらくても、しんどくても、辞めるなんてことは許されないのです。

 

 

奥さんや娘さんが生活するためには、彼は、やりたいことも何もかも犠牲にして働かなければなりません。

彼の楽しみや幸せよりも仕事が人生の最優先です。

 

常識は必ずしも正しいとは限らない

でも僕は思います。

 

奥さんや娘さんがそれで幸せでも、稼ぎ頭の一人の人間の人生を犠牲にしなければ、成り立たない家族っていったいどういうこと?

 

おかしくない?

 

人は苦しんだり、働くためだけに生きてきたのではありません。

両親も彼が生まれたとき、誕生を喜んだはずです。

幸せを願ったはずです。

 

人は人生を満喫するために生きてきたのです。

 

それなのにあまりにも残酷ではありませんか?

 

でも、これは世の中の氷山の一角であり、彼だけではなく、たくさんこういう人がいます。

毎日のルーチンワークに必死でこういうことも考えることもありません。

なのに、疲弊ばっかり口にします。

 

 

そして、仮に僕が彼自身も家族も幸せになれるビジネスがあると教えたところで、彼はやらないでしょう。

 

だって将来性や安定性よりも家族が生活していくための現状維持を選びます。

 

でもそれだと、彼はずっとこのままで、やがて老人になり、一生を終えてしまいます。

死ぬ前に「ずっと仕事してたなあ」で終わりです。

 

そんな人生は悲しくないですか?

 

 

僕はそんな人生なんて絶対嫌なので、自由を手に入れられる魅力的な人生を選びました。

 

仕事というのは選択権があるし、会社で働かなくても自分で稼げればいいんです。

そして、お金なんてただの売買するためのツールにすぎません。

なぜ自分の大切な人生をただの売買ツールに支配されないといけないのか分かりません。

 

 

世の中は会社員になるのが常識とされています。

 

学校教育では、いい学校に入って、いい会社に入りなさいと教育されます。

それが常識なので、常識とは恐ろしいものなのです。

 

常識は必ずしも人を幸せにできません。

常識は必ずしも正しいとは限らないのです。

 

幸せになるためには常識をぶち壊さなければならないときもあるのです。

 

 

でも常識に背を向けると、人から非難されます。

非難されても自由を手に入れて幸せになればいいんじゃないでしょうか。

世間体や人の批評なんて、いちいち気にする必要はありません。

人は、人として人らしい人生を歩むべきです。

 

何のために生きてきたか再確認してほしいものです。

そうしないと人生がもったいなすぎますよ。

 

まとめ

友達と遊ぶ約束さえできないお金だけに支配された人生は、もはや生かされているだけで人生を惰性的に過ごしているに過ぎません。

お金なんてただの売買ツールです。

売買ツールの支配から解放されたとき、人はまったく違う人生を歩むはずです。

人は自分の人生をもっと大切にすべきだし、一度きりしかない人生を人として人らしく歩まないと生まれてきたことがもったいなすぎると僕は思います。

Comment

  1. ichi より:

    それは大きなお世話でしょう。そもそも「一家の大黒柱」なんだから当たり前。
    サラリーマンなら、60歳定年まで働いても、20年位はのんびりできます。
    家庭を持つという意味や責任を理解してますか?
    家族の笑顔を見ることが生きがいではいけませんか?
    最近の若い人は「やりたいことがない」と簡単に仕事を辞めますよね。新卒の3年離職率は恐ろしいことになってる。
    奥さんを養う甲斐性がないから、奥さんに「働いて」という。
    まぁ、仕事の出来る奥さんをもらって主夫になるのもいいですが、家事をこなし、イクメンになるのだって根性と体力が必要なの。甘いこと言ってると一生お一人様ですよ。

    • 古川 英宏 より:

      ichiさん
      ご訪問&コメントありがとうございます。

      そういうのがまさに常識なんですよね。
      人それぞれですが僕は60歳までなんて待っていられなかったので、
      すぐにのんびりできる道を選んだだけのことです。

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